インターネット俳句会

俳句入門

俳句入門
初心者のために
はじめに 松田ひろむ
 現代俳句協会はさまざまな俳句観をもった方々の集合体です。したがって俳句入門も一つではありません。ここでは著作権の関係もあり、松田ひろむの「入門詠んで楽しむ俳句16週間」(新星出版社)をほぼ踏襲して初心者のための俳句入門としました。


1、最初に

 俳句を始めたいと思うきっかけは、みなさんそれぞれでしょうが、この本を手にとられたあなたは、俳句というもっとも短かくて奥行きのある文学にふれたことになります。この機会を生かすも生かさないもあなたしだいです。
あるひとは、日記を書くように俳句を作りたいと思い俳句を作り始めました。またあるひとは、友だちや職場の同僚から「面白いから」と誘われたから始めたということもあります。またなんとなく文化的な雰囲気にふれたいとカルチャー教室に入ったなどでしょうか。
中村苑子という俳人は、戦争で亡くなったご主人の遺品から句帳が出てきたことで、俳句を始めるようになりました。
また飯島晴子という俳人は、所用で出席できなくなったご主人の代わりに句会に出たのがきっかけといいます。そして二人とも現代の俳句に大きな影響を与えた俳人になりました。
いずれにせよ俳句を始めようとする動機は、一大決心をして俳句を作ろうというより、ちょっと面白そうだからとか、なんとなく文学に触れたいなどというものでしょう。
しかも小説や詩は難しそうだが、俳句ならなんとかなりそうだという思いもあったことでしょう。
そうです。俳句はだれにでも作れることの出来るやさしい親しみやすい文学なのです。現在の俳句人口は六百万人とも七百万人ともいわれています。読む文学だけではなく、作る(創作する)文学としては、圧倒的に国民から支持されているのです。
俳句はやさしいといいましたが、それだけでない奥深さがあることは、この本をお読みになればだんだんとわかっていただけることと思います。
最初に「日記のように」といいましたが、俳句はそのひとの「生きた証(あかし)」でもありますから、「日記のように」ということは俳句にとって大きな意味があるのです。
俳句に限らず、芸術はみな「自己表現」という人間にとって大切な要求から出発しているのです。日常のなかから心を動かされたもの、感動を書き留めておきたいという欲求はもっとも人間らしいものといえましょう。
最初の動機はいろいろあっても、あなたは人間的な要求に動かされて、まずは俳句の入口に立ったのです。

●俳句とは
俳句は、日本の詩歌の伝統から生まれた詩のひとつです。その成立は十六世紀ごろといわれていますから、約四〇〇年の歴史があります。
みなさんも知っているように、俳句はわずか十七音節(十七文字)の短い詩です。
季語や切字がその短い詩を支える大切な役割をはたしていますが、それらについては、これから学んでゆきましょう。

あじさいのきのうのいろがかわってる
     鹿児島 生見小学校一年 にしなかま きよの
たいふうがどんどん沖なわ食べていく
     埼玉 笠原小学校四年 井上陽裕
たきのようなあせほめあって稲を刈る
     秋田 塙川小学校五年 福士千織
ベランダは銀河鉄道通過駅
     岐阜 安桜小学校六年 纐纈紗耶貴
制服の丈を下ろして夏終わる
     埼玉 宮内中学校二年 小林真人
陽炎の向こうに言えぬ隠しごと
宮城 みどり台中学校二年 北村康浩
燕の子巣立つこんなに青い空
     栃木 高根沢商業高等学校一年 長島香奈子

これらは、第三〇回(平成十一学年度)全国学生俳句大会の入賞作品です。それぞれの学年らしい新鮮さがありますね。
なあんだこれなら私も作れると思われた方もいるのはないでしょうか、それでいいのです。
俳句といえば芭蕉、蕪村と考えることはありません。いまの時代に生きている現代の文学なのです。
最初に俳句を作ろう。俳句を勉強したいという気持ちを大切にしたいものです。
俳句はとりわけ、「やさしく」「新鮮」な気持ちを大切にする文学だからです。俳句は<平明清新>(へいめいせいしん)が大切なのです。
最初は、俳句をさあ作ろうとあまり身構えないで、平凡であろうとなかろうと、生の自分の感動から出発することが大切です。
俳句で使うことばは、普段使わない雅語、漢語を使わないで、「普段着」のことばを使うことが大切です。
「普段着」ということは、やさしい普通のことばを使うということです。ひとによっては「ひらがなで書こう」などともいいます。難しい字をあまり使わないことも初心の心得の一つです。
もうひとつ大切なことは、「うぶ」な感性を大切にすることです。なにごとにも心を動かさないひとは、俳句に限らず芸術は語れません。
もちろん、そんな木石のようなひとはいないのですが、年齢を重ねるとややもすると、なにごとにも身構える姿勢が身についてきます。しかし俳句では頭をいつまでも柔らかくということなのです。
 芭蕉も「俳諧は三尺(さんせき)の童にさせよ」、「初心の句こそたのもしけれ」(三冊子)といっています。
 これは童心に帰れという教えですが、いくつになっても素直に驚き、喜び、悲しむこと、その大切さをいっているのです。

●句作に必要なもの
1、紙と鉛筆・句帳
さあそれでは、俳句を作ってみましょう。俳句を作るために必要な最小限のものは、紙と鉛筆(もちろんボールペンでも)だけです。なにも立派な句帳を用意する必要はありません。
そうはいっても紙に書いただけでは、散逸することになります。最初は市販の大学ノートを一冊用意すればいいのです。市販の大学ノートは横書きに線が引かれていますが、わざわざ縦書きのノートでなくても、横書きの罫をそのままで、縦に書けばいいのです。
私の場合は、適当なメモ用紙に発想した句の断片を書いて、一句にまとめます。いちおう完成したときに、パソコンに入力していますが、パソコンはまだまだ一般的ではありませんので、普通は大学ノートに書けばいいのです。
やはり句帳がいいということであれば手帳型の句帳も市販されていますし、総合俳句雑誌の付録としてついている場合もあります。
さて俳句を作るのに、紙と鉛筆、いいかえれば大学ノートなどの句帳だけでいいかというと、それは必要最小限です。
やはり必要なのは歳時記と国語辞書です。歳時記は俳句にとって大切な役割を果たす季語(きご)を集めて、解説と例句を集めたものです。
ここで「季語」といいましたが、季題という言葉も使われます。季語と季題は同じようで、ちょっとだけ意味が違います。また同じ意味だという考えもあります。ここではその違いを深く考える必要はありません。この本では「季語」に統一しておきます。
2、歳時記
その歳時記ですが、いろいろな歳時記が出版されています。最初は分厚い歳時記はかえって扱いにくいものです。
文庫版サイズの携帯用の歳時記が便利です。これもいろいろなものがありますが、ここでは現在市販されている次のものを紹介しておきましょう。どれを選択されてもいいでしょう。長期間、毎日のように使うものですから、製本がしっかりとしていることが大切です。
『新版俳句歳時記』雄山閣出版
 「オクラ」「花粉症」「阪神大震災忌」「冷し中華」などの新しい季語を追加した最新の歳時記です。例句の一部が公募されたことも特徴的です。
『合本俳句歳時記』(第三版)角川書店
 改訂を重ねて定評のある歳時記です。
『合本現代俳句歳時記』角川春樹事務所
 季語の「本意」をとらえたとする例句に*(アスタリスク)が付いています。角川春樹編であるため、例句の選択にやや偏りが見られます。
『現代俳句歳時記』現代俳句協会
「太陽暦」にもとづく新しい季節分類が特徴です。無季の作品も収められています。
季節ごとに分冊になった歳時記もあります。分冊のものは持ち運びに便利ですが、季語から季節を調べようとすると分らないことになります。
また、『季寄せ』といって季語だけを集め、簡単な解説をつけたものもあります。
3、国語辞典
 「国語辞典」は必要不可欠です。「国語辞典」が必要というと、俳句は難しいものとお考えになるかもしれませんが、そんなことはありません。むしろやさしく作るために必要と考えてください。
言葉の意味や書き方は案外うろ覚えのものが多いのです。やはり一句を作るのに意味や書き方が間違っていては、どうにもなりません。
疑問に思ったら面倒がらずに辞書で調べることが大切です。「俳句をやると字をちゃんと覚えるよ」と、私も初学のときに先輩から聞きましたが、知らず知らずのうちに誤字を書いている方も多いのです。
これも『広辞苑』、『広辞林』などの大きなものは、最初は必要ありません。B6版程度のものが持ち運びに便利です。また最近では電子辞書などといって、電卓程度の小さな「辞書」もあります。これも軽くて便利ですが、ぱらぱらとめくるわけにはいかないところが欠点です。
 国語辞典は各社から発行されています。『岩波国語辞典』、『旺文社標準国語辞典新訂版』、『角川国語辞典新版』、『パーソナル現代国語辞典』(学研)、『講談社国語辞典第二版』、『新明解国語辞典第5版』(三省堂)などがあります。
年配の方には文字の大きい「座右版」というものがいいのですが、版型が大きくなり、かえって持ち運びに不便になりますので、これは一長一短です。


第一週 俳句の形 五七五・切れ
俳句とはどういう詩でしょうか。ごく簡単にいえば「俳句とは日本の詩歌の伝統を踏まえた緊密な韻律(リズム)を持った短い詩」ということが出来ます。
その基本は五、七、五の十七文字(音節)です。
こうした詩を定型詩といいます。日本語はひらがなで表される単位の文字が基本的に一音節ですから、文字と音節が同じように扱われています。
 自由律俳句や口語俳句といって、五七五にとらわれない考えもありますが、これは五七五の俳句をしっかりと身につけてから、ご自身で考えられても遅くはないでしょう。
 まずは、俳句は五七五を基本にした定型詩と考えておきましょう。
さらに季語(季題)は、俳句の働きを大きく効果的にする重要な役目を持っています。
これにも無季俳句といって季語がなくてもいいという考えもありますが、やはり季語を生かして使うことからはじめたいものです。
さらに「季語」というか、「季題」というかという問題もありますが、ここでは「季語」に統一しておきます。この問題については、さまざまな考え方がありますが、さほどこだわる必要はありません。
 もうひとつ俳句にとって大切なものは、切れ(切字)です。
もう一度いいますと俳句の基本は、五七五の十七文字(音節)です。俳句にとって大切なものは季語と切れです。
 
俳句は、五、七、五の十七文字(音節)といいましたが、この五、七、五はばらばらな五、七、五ではありません。
ふつう五と七五、五七と五というように二つになることが基本です。
よく俳句のことがわからない新聞や雑誌などで、
古池や 蛙飛び込む 水の音
と分かち書きで表記している例がありますが、これは誤りです。俳句は間を空けずに書くのが普通です。
「分かち書き」によって特別な効果を出したいと、分かち書きをする俳人もいないわけではありませんが、基本的に俳句は分かち書きをしないものと考えてください。
俳句は二つに分かれるといいましたが、芭蕉も俳句(当時のことばでいえば発句)は、ふたつのものの「取合わせ」といっています。
 この二つを分けるのが「切れ」(切字)なのです。

A 古池や +蛙飛び込む水の音                芭蕉
A 菜の花や+月は東に日は西に                蕪村

B 柿食へば鐘が鳴るなり+法隆寺            正岡 子規
B 本買へば表紙が匂ふ +雪の暮            大野 林火

 以上の二つの基本をしっかりと身に付けましょう。
 その他に、一物仕立とか一句一章といって、最後に切れのある作品もあります。その多くは「かな」「けり」や動詞の終止形で切れます。これも「切れ」の一つです。
この形を芭蕉は「金(こがね)を打ちのべたる」(「去来抄」)といっています。

C 流れゆく大根の葉の早さかな             高浜 虚子
C 鶏頭の十四五本もありぬべし             正岡 子規
C くろがねの秋の風鈴なりにけり            飯田 蛇笏
C 白妙の菊の枕を縫い上げし              杉田 久女

 俳句の切れは、この三つの形を基本にして、いろいろな変化(バリエーション)があります。
ここではそれぞれの句の解説は省きますが、名句として定評のある句で、しかもなるべくわかりやすい句を選びました。

A、上五で切れる形
残雪や|ごうごうと吹く松の風             村上 鬼城
 葛咲くや|嬬恋(つまこい)村の字(あざ)いくつ     石田 波郷
 広島や|卵食ふとき口開く               西東 三鬼
 七夕や|髪濡れしまま人に逢ふ             橋本多佳子
 高嶺星|蚕飼(こがい)の村は寝しづまり         水原秋桜子
 芋の露|連山影を正しうす               飯田 蛇笏
 木の葉髪|文芸永く欺(あざむ)きぬ           中村草田男

B、中七で切れる形
さみだれのあまだればかり|浮御堂(うきみどう)     阿波野青畝
怒涛まで一枚の田が|冬の旅              古沢 太穂
 口で紐解けば日暮や|西行忌              藤田 湘子

C、下五で切れる形
からたちをわがしほさいの花とせし|          藤田 湘子
 やくそくの寒の土筆を煮てください|          川端 茅舎
 をりとりてはらりとおもきすすきかな|         飯田 蛇笏

(変化)五七五の中間で切れる形
この形はあまり多くはありませんが、独特の韻律が得られ、五七五の切れとは異なる効果を発揮する場合があります。
俳句の五七五の上の五を上五、まんなかの七を中七、下の五を下五といいます。これは以下の説明に必要ですので、ここで述べましたが、一般的に一句を構成する要素として使われている言葉です。
例えば上五を「古池や」にするか「山吹や」にするか、などと使います。

上五の中間の切れ
 寒(さむ)や|吾がかなしき妻を子にかへす       石田 波郷

 中七の中間の切れ
 萬緑の中や|吾子の歯生え初むる           中村草田男
 炎天の遠き帆や|わがこころの帆           山口 誓子
 唇ほのと仏|芋の葉ごぼうの葉            古沢 太穂

下五の中間の切れ
 算術の少年しのび泣けり|夏             西東 三鬼
 地の涯(はて)に倖(しわあせ)ありと来しが|雪    細谷 源二

 このように俳句は、どのような形をとっても一ケ所で切れているのです。
 最初は上五の切れ、中七での切れをしっかりと身に付けてから、中間で切れる変化技に挑戦してみてください。
俳句は一ヶ所で切れるといいましたが、特別な形もあります。
  眼には若葉|山時鳥(ほととぎす)|初鰹           素堂
  初蝶来|何色と問う|黄と答う|           高浜 虚子
  これを三段切れ、三字切れといいます。この形はばらばらな印象を与える、中七が上に付くのか、下に付くのか判らないなど、多くの欠点を持っていますので、普通は禁じ手とされています。
よほどの名手が使う形で初心者は避けたい形なのです。
 ここで、切れるというのは、「切字」だけではなく、動詞の終止形、名詞も含まれるということを理解してください。切字だけでなく「切る」ことが大切と考えてください。芭蕉も切字があっても切れていない句がある。「切字なくても切るゝ句あり」(「三冊子」)といっています。
  唐崎の松は花よりおぼろにて                芭蕉
 この芭蕉の句をめぐって「にて」は切字ではないと非難するひとがいました。しかし芭蕉は「切字に用る時は、四十八字皆切字也。用ひざる時は、一字も切字なしと也。」(「去来抄」)といっています。切字の有無より「切る」こころが大切なのです。
 切れのない俳句は、だらだらとしたものになるだけでなく、俳句にとって大切な余韻や飛躍がないことになります。
 先にあげた「広島や卵食ふとき口開く」という西東三鬼の句は無季の俳句ですが、明確な切れがあります。俳句にとって「切れ」と「季語」とどちらが大切かといえば、大胆にいえば「切れ」だともいえるような句です。もちろん季語は大切な役割を果たすものです。
この「切れ」と季語については後に詳しく述べます。

 では、実際に五七五と季語と切字を使って、俳句を作ってみてください。
 私の指導している句会で、初めて俳句を作られた方、または始められて間もない方の句を紹介しておきましょう。
  あじさいや子供の夢は宇宙まで               みち 
真似事の太極拳や梅雨晴間                 康治
ひとときの万葉園や走り梅雨                泰子
  夏近し孔雀は羽根をひろげいて               優子
  なつかしき顔集まりぬ水羊羹(ようかん)          ふじ子
 初夏から夏の時期でした。季語は「あじさい」、「走り梅雨」、「梅雨晴間」、「夏近し」、「水羊羹」が使われています。
切字は「や」が使いやすいようです。「近し」「集まりぬ」も、ここで切れています。
これらは、特に優れている句というわけではありませんが、これなら私にも作れると思っていただければ幸いです。
 繰り返しいうように俳句は、初めての方でも作れるところが、いいところなのです。
これは俳句という形式の恩恵(おかげ)なのです。

●今週のまとめ
俳句は五七五を基本とした定型詩。一ヶ所で切れることが大切です。
五七五は五と七五、五七と五の取り合わせと、最後に切れる一句一章の三つの形があります。

第二週 なにを俳句に詠むか―自然と人間

 俳句になにを詠むか。つまり俳句の材料、それが素材です。俳句とは花や月など、きれいなものを、きれいに詠むことだと思っているひとはいないでしょうか。
雪月花という日本の伝統的な美の対象は、私たちの心を動かしますが、それだけでない、いろいろな自然にも私たちは胸をときめかします。
俳句の対象は大きくいって自然と人間です。俳句は自然の詩だけでなく自然と人間のふれあいの詩です。そのことはこれから述べます。
まずは身近な自然を詠んでみましょう。あなた自身の身辺の自然(草木花・動物・気象)なのです。
身辺といえば家庭の中や家庭の回りでしょう。
家庭の中に自然なんてないと思うかもしれません。そうでしょうか。私たちの周りは自然、またはその恵みの中にあるのです。

朝ご飯トマト好きな子嫌いな子          鷲田  環(鴎座)
やや寒の今日の始まるお味噌汁          外山智恵子(藍) 

「トマト」は夏の季語。「やや寒」はなんとなく感じられる寒さ、秋の季語。だからこそ「お味噌汁」の温かさがうれしい、そんな日なのです。

苺煮る匂ひだんだん甘くなり            箱守 田鶴(知音)

苺を煮るというのは、ジャムにするのでしょう。「だんだん」(匂い)が甘くというのは、女性ならではの感覚でしょう。

西瓜食ぶ大きな口と小さな口          和田友季子(円虹)

「食ぶ」は文語で「食べる」こと。西瓜を食べている大きな口と小さな口、つまり親子の顔が浮かぶようです。これも身近な素材ですね。「西瓜」は夏の季語。(これまでの歳時記では秋の季語でしたが、生活感にあわせて、最近では夏の季語とする歳時記が増えています。)

毎日食べるご飯やおかず、味噌汁や、苺、西瓜など、私たちの家庭の中は自然がいっぱいあるのです。
もちろん部屋に差し込む日の光、窓を鳴らす風や屋根を打つ雨も自然ですね。なおここでいう「自然」は広い意味で使っています。
これらの俳句の仮名づかいは、多く旧仮名づかいになっています。俳句は旧仮名づかいで書くべきだという考えもありますが、それに拘る必要はありません。実際に現代仮名づかいの俳句も多くあります。
そうとう年配の方はともかく、昭和二桁以降生れの方は第二次世界大戦後の、いわゆる戦後教育を受け現代仮名づかいで育っていますから、俳句は旧仮名づかいで書かなければならないとすると、大半のひとはここでもう挫折することになります。
私自身も現代仮名づかいで俳句を書いています。この仮名づかいの問題については別に書きます。
さて、庭がある方は庭に降りてみましょう。

妻のみが働く如し薔薇芽立つ               石田 波郷
向日葵(ひまわりや)や腹減れば炊くひとり者       原  石鼎
睡る子に時間をもらう濃あじさい         向山 文子(青玄)

これらの句は、みなわが庭の感じですね。
また通勤や買い物の途中も俳句の材料です。俳句の眼でまわりをみると意外なものが発見出来るものです。
わき目もせず一目散に目的地(駅や商店)に向かわないで、せめて路傍に眼を向けてみませんか。あるいは小公園があるかもしれません。あれこんなところに道祖神がと思わぬ街の歴史、文化遺産を発見するかもしれません。またどんな街にもお地蔵さん、お稲荷さんがあったり、史跡があるものす。
私の街にはそのようなものはなにもない、私の周りは人工のものばかりという場合もあるでしょう。たとえば歩道橋があったとすれば、こんな句があります。

芽柳をぬけ来る風の歩道橋           平林 孝子(寒雷)

さわやかな春の感じです。歩道橋があってこそ風の流れが見えてくるのでしょう。芽柳(柳の芽)が春の季語ですね。

麗らかや歩道タイルに時の鐘           名取 志津(知音)

歩道のタイルも俳句になりました。時の鐘(時間を知らせる鐘)は、お寺の鐘でしょうか。あるいは学校のチャイムを「鐘」といってもいいでしょう。「麗らか」が季語で春です。

寒雀むかしは道のやはらかき            五味 一枝(岳)

この句は見たままというより、感慨の句ですね。舗装された道路に遊んでいる冬の雀をみて、ふっと道というのは、昔はみんな土だったなあと思い出したのでしょう。土の道といわずに「昔は道のやはらかき」といって味わい深い句になりました。寒雀が冬の季語です。
身辺の風景ということになれば川でしょうか。あるいは丘や小山かもしれません。田園地帯の方はもちろんいろいろな自然や風景に囲まれています。

爽やかに川の流れる万歩計             関千恵子(鴎座)

万歩計をつけているといえば、やはり村より町の川の雰囲気があります。この方はまだ俳句を始められたばかりですが、日常をしっかりと詠まれています。「爽やか」が秋の季語です。

下町は雨になりけり春の雪               正岡 子規
立山のかぶさる町や水を打つ               前田 普羅

それぞれ俳句史上に、著名な俳人ですが、みな身辺のことですね。

では代表的な季語である「雪月花」はどうでしょうか。
雪 
雪櫟(くぬぎ)夜の奈落に妻子ねて            森  澄雄
山鳩よみればまはりに雪が降る            高屋 窓秋

森を出て花嫁来るよ月の道               川端 茅舎
眠るまで月をいくつも見て眠る 千代田葛彦

夜の桜うしろに暗き崖懸る             加藤 楸邨
ごはんつぶよく噛んでゐて桜咲く            桂  信子

どうでしょうか。一句一句の解説は省きますが、どの句も純粋な自然としての「雪月花」というより、人間との関わりのなかでの感動を詠っているのです。俳句はこのように身辺の詩なのです。
もちろん花なら花の美しさや、その姿をずばりと詠んだ句も多くあります。

牡丹散(ちり)て打ちかさなりぬ二三片            蕪村

桐一葉日当りながら落ちにけり           高浜 虚子

遠目にも山吹の黄の一重なり               星野 立子

こうしたその物自体を詠む場合は、そのことの本質に迫る独自の把握や表現が大切です。そうでないと、ごく常識的な平凡な作品になってしまいます。
蕪村の句は牡丹そのもののありようが、「打ちかさなりぬ」として、まざまざと表れたのです。虚子の句も「日当たりながら」と把握したことによって、いかにも「桐の葉」なのだと納得させられます。
もちろん、魚、昆虫、犬や猫も身近な材料です。

買初の小魚すこし猫のため               松本たかし

「買初」は新年初めての買い物のこと。猫のための買初めが、ほほえましい句です。

粥すする匙の重さやちちろ虫              杉田 久女

「ちちろ虫」は、蟋蟀(こおろぎ)のこと。リーリーリーと秋の夜長を鳴いているのです。「匙の重さ」で病気のなかの句と分ります。

鰯炊きおり良き母の心地せり               津波古江津

最近は家庭での煮炊きが減っているといいます。この作者も普段は簡単な食事なのでしょう。ことことと鰯を炊いていると自身を「良き母」のようだと実感したのでしょう。「鰯」が秋の季語です。
あなたもご自身の身の回りを俳句にしてみましょう。やはり、初心者の句です。

妻がいて朝のあいさつ鯵(あじ)・納豆
あじさいや長女はとても移り気で

「鯵」(あじ)は夏の季語。鯵の干物でしょう。新婚の姿です。鯵も納豆も朝食の定番ですが、それが新鮮に感じられたのでしょう。「あじさい」も夏の季語です。このような感じで、あなたも一句作ってみましょう。

●今週のおさらい
 俳句は身の回りから。自然と人間の関わりを普通のことばで、詠むことが大切なのです。


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