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金子兜太講演 「生きもの諷詠」 第46回現代俳句全国大会

IT部 (2009年11月09日掲載)


【抄録】

○虚子はキャッチフレーズの上手い人で「花鳥諷詠」「客観写生」「有季定型」と名文句を作ったのですが、今回の演題は「生きもの諷詠」で、これは虚子の「花鳥諷詠」に反対の意を表明するもの、しかし「生きもの諷詠」の「生きもの」はまだこなれていない、語感が悪い、これからです。「生きもの諷詠」が流行れば、「花鳥諷詠」は消える。そもそも虚子の言う自然は、人間は自然とは別物と考えていた。その発想は近代的な形式主義、近代主義の残り滓だと思います。今は現代です、人間と自然とを分けるのではなく、人間も鳥も花も木もゴキブリも虎も全部生きもの、生きもの全体の諷詠でなければ駄目です、表現の場が狭くなってしまう。私は人間を生きものとして親愛しています。自分も生きものと言えるものになりたいと、こう思っています。虚子が言う「自然随順」は一番の間違い、生きものは全部平等・対等なのだから随順という考えは必要ないんです。だから虚子が考えた自然随順というのは、かなり卑屈な近代主義だと私は思っています。

○私は秩父の皆野町で育ちまして、父は俳句をやっておりましたが、ホトトギスの一句組でした。そして父は医者で、皆野に開業するようになりました。そのころの俳句界では水原秋桜子が「自然の真と文芸上の真」を発表して、虚子の客観に対して俳句に主観を入れることを提唱したわけです。父は産婦人科の秋桜子とは同じ医者ということで友人だったのです。父は秋桜子の「馬酔木」風の句を作っていました。主観ということで言えば河東碧梧桐が居ますが、彼は虚子の「客観写生」に対して主観を書こうとしました。そして定型を逸脱する自由律になっていくような俳句を書きました。虚子にはそれに対する大きな反撥がありました、「客観写生」に徹するんだと。ただね、子規は「写生」と言っているだけで、「客観写生」とは言っていない。子規の「写生」は、見たもの、触れたもので書く、と言っているだけで主観を無視していないのです。だから虚子の「客観写生」は師・子規への冒涜だと思っています。虚子が「花鳥諷詠」を言いだしたのは、秋桜子のあの「自然の真と文芸上の真」が出た年ですが、虚子は「自然随順」なんて言わなくとも良かったのです。

○ところで父の句会は男ばかり、三、四十人は集まっていました。句会が終われば酒、そして喧嘩が始まる。子どもの私はそれを見ているわけです。母は言いました、「俳人という字はどう書くか知っているかい?人非人と書くんだよ、俳句なんかやっちゃいけない」とね。句会に集まった人たちは三、四十代で、私には新鮮な青年たちに見えました。秩父の人は優秀でね、「知的野生」と言いますか、秩父にはホトトギスの俳人で有本銘仙という人が居ましたが、彼を嫌って、青年は暮らしを詠った。優秀、頭が良かった。頭の良いという二つあってね、とんでもないときに頭の良い人と年中頭の良い人がありますね。一概に頭が良いというとまずいわけですよ。

○そして、やっぱり秩父音頭ですな、これで五、七、五が沁み込んだわけです。そして先ほどの秩父の句会で分かるとおり、俳句は人間を書くもの、と思っておりました。花鳥などという限定は最初からありませんでした。惹かれていったのは生々しい人間ですね。生々しい人間はイデオロギーを言わない、理屈を言わない。「新俳句人連盟」はイデオロギーを言ったのですが、その中から赤城さかえがイデオロギーで詠む俳句を否定しました。「写実」の果ての象徴、サンボリズムを言いだしました。「風」の沢木欣一は社会性についてのアンケートに答えて、それは社会主義イデオロギー周辺の句だ、と答えたのですが、私はそういったものに身体で反撥しました。そこで社会性とは「態度の問題」を提唱したわけです。生きた人間はイデオロギーで書かない、生活の姿勢として社会にどう触れていくか、ということで俳句を作らないと、良い俳句は出来ないと思っていました。最近の若い人たち、現俳協の人もそうですが、科学用語や外国の人が書いたイデオロギーの言葉を借りて俳句を論ずる傾向があるような気がします。そういうのは、私はほとんど信用しない。俳句は生きた人間の言葉で書かないといけない。私は生きた人間が好きなのです。だから今の若い人の論文は読む気がしない、二、三ページで読んで蹴飛ばします。

○さて本論になりますが、60年安保のあと、古典帰りがありました。現代俳句協会が分裂し、私より十年先輩の俳人がこの現俳協から飛び出して、西東三鬼、石田波郷らが「俳人協会」を作りました。文化の古典帰りが一番早かったのは俳句です、あまりに綺麗に変わる人が多すぎましたね。昭和四十年ですね、「戦後は終わった」なんて言い出す、ぬけぬけと。ここで、どうも人間というものはあてにならないと思いましたね。社会を支えている人間というものを分からないといけないと思いました。そこで一茶、山頭火という漂泊者に目を向けたのです。一茶が一番勉強になりました。一茶を知るには芭蕉そして宗祇と歴史を遡らなければ分からない、勉強しましたね。山本健吉に「金子君も古典の勉強をしなければいけないね」などと言われていました。忸怩たるものはありましたが、今に見ておれ、という気概はありました。一茶から学んだものは「生きもの」であるということです。「生きもの」を支えているのは「いのち」です、一茶は生きもの感覚が豊富です。一茶は江戸にいても食えないから旅に出るわけです、漂泊ですね。ここで人間の原始の姿、本能的な感性ですね、これが一茶には残っていました。人間の原始の姿というか、始まりは森のなかにいたそうです。人間は森を出て社会をつくるのですが、ここで森にいた頃の原始の姿を忘れてしまうのです。まあ、俳人というやつは、まだこの原始の姿というか、本能的感性というか、それが残っている人種です。だから口は悪いが心根の良い奴が多い、それで少々悪い奴でも、ボクは俳人を許してしまいますね。とにかく社会を作ると純粋な感性が押しつぶされる、そして欲の世界が露出する、「性欲」とか「食欲」なんてものはかわいいもので、やっかいなのは「名誉欲」。そこで、心がきれい、原始的な感性をふんだんにもっている人は社会にいることが嫌いになるのです。そういう俳人に種田山頭火があります。彼は社会一般に触れようとしない、悪しき欲を棄てて純粋な欲を求めて放浪する。一方、一茶は社会から飛び出さない、定住漂泊です、一茶はそのタイプです。遡れば連歌師はそうですね、宗祇がそうです。俳諧の連歌から俳諧になる。宗祇から芭蕉へとなるわけですが、宗祇、芭蕉、一茶は旅で暮らしました。宗祇の場合は各地の豪族を廻ったのです。応仁の乱のあと、豪族は暇つぶしに俳諧の連歌を巻きました。庶民のなかに連歌は広がっていたのです。そういう経済的な基礎があると、定住という面も旅をするということも満たされますから、定住して且つ感性を遊ばせることが出来ます。つまり自分の美の世界を築く、思想を持つことができます。芭蕉は杉風などのパトロンに恵まれていたけれど、一茶のような庶民の俳諧師にはそういうパトロンは居ない、ましてや江戸も終わりの頃では俳諧師としてお金を稼ぐのは大変だ。お金がないから定住しにくくなるのです、それで宗匠にもなれない一茶は旅に出て、お鳥目(銭)をいただいて暮らします。

○宗祇には「世にふるもさらにしぐれのやどり哉」という句があるのですが、旅に出て無情という思想を固めることが出来ました。芭蕉は宗祇を偲んで「世にふるもさらに宗祇のやどり哉」という句を作って、宗祇への思いを深めたわけです。芭蕉の旅は計画された旅だったけれども、やはり旅は必要だったわけです。一方、一茶は「春立つや菰もかぶらず五十年」という句を作りましたが、これは芭蕉が詠むような坊さんの菰とかそういうものではなく、乞食にならずにすんだ、という感慨です。一茶はパトロンを信用していない。夏目成美なんてのは両替商の親玉で、人の顔を見れば盗っ人かと思う。一茶は六十歳で脳出血になり、子供もみんな死んじゃった。こころの悩みからもなんとなく解放されて、自分のことを荒凡夫と言うわけです。自分は愚に愚を重ねて生きてきた、阿弥陀様、それで生きていくから宜しく、と言うのです。でもボクの解釈では「荒」は「愚」じゃない。「荒」は自由ということと私は受け取っています。一茶は柏原で育ったものだから土からエキスをもらって生きてきた。これが大事なんです。一茶に「形代に虱おぶせて流しけり」という句があります。当時はみんなシラミをもっていた、もっていないのはシラミも付かないほど身体が悪いということなのです。でも、この句のシラミは女の子、病んだ少女からとってきたシラミと思います。「おぶせて」という言葉で、そうだと私には分かるんだ、句の匂いから分かる、また分からないような人は駄目なんですね。一茶には菊さんという嫁がいて四人の子供と住んでいますが、隣には壁を距てて弟夫婦と継母が住んでいる。この一家からは訴訟でもって土地を勝ち取ったのですが。一茶は晩婚で若い菊さんにずいぶん苦労をかけました。気が向けば旅から家に帰ってきて子種を仕込む。日記を読むと何回交わった、とか書いているのですが、交合の「交」と「合」を使い分けて書いています。「交」は男女のただの交わり、しかし子種を仕込んだとき、そう感じたときには「合」を書く。奥さんの反応でわかる、それをかき分けるデリケートな神経も面白いと思います。一茶は旅に出て稼ぎ、正月は家に戻り家族と一緒に過ごします。「鳩いけんしていはく」と前書きがあって「梟も面癖直せ春の雨」という句がある、鳩とは妻の菊さんのことで、句のように菊さんから意見されたのです。「あなたはろくなことをしていないから顔の癖が悪いですよ、お正月ぐらいはいい顔になんなさい」と。ここから分かるのですが、一茶は今残っている一茶像の顔ではない、梟と詠われているように顎の張った農民顔で、肩もいかっていた、農民の体つきなんです。

○一茶という人間を見ていますと、環境によっては悪しき欲も非常に美しい感性をも示す、そのような本能をもった生きものの塊だと、しみじみ思うんですね。この生きものを見ていると、人間と自然を区別しているのが馬鹿馬鹿しい。いろんな欲を募らせて戦争を仕掛けたり、マーケットをかっ払ってやろうとする国があります。そういう連中に一茶の句を読ませ、このような優しい、生きものを生きものとして感じるような、この感性の世界を分かってもらえば、少しはそういう権力欲も減らせるだろうと思います。それが私のささやかな願いなんです。終わりになりますが、人間と自然の区別をしないということ。ゴキブリも人間も生きもの、生きもの感覚が大事なのです。生きもの感覚でつながっている人たちを生きものと言うのです。これが現代の俳句観なのです、虚子よ去れ!現代俳句協会万歳!と思うわけです。(拍手)

平成21年10月31日

文責 大畑  等