協会案内

特別顧問挨拶

いまという時に――ご挨拶に代えて 宇多 喜代子
特別顧問写真

現代俳句協会が創立されたのは昭和二十二年の九月です。石田波郷が西東三鬼に働きかけ、神田秀夫を加えた三人の立案に、当時の有力作家が賛同し、原始会員三十八名で出立したのが始まりです。『雨覆』時代の石田波郷が三十四歳、『夜の桃』の西東三鬼が四十七歳、全員の年齢が五十歳以下、山口誓子、中村草田男が上限だったといいますから、隔世の感とは、まさにこのことだと思わずにはいられません。

先輩俳人たちの高揚する気持ちが、敗戦直後という混乱の時代だったからこそ、苦しい暮らしの日々に俳句を立ててゆこうとする意志に固まってゆき、現代俳句協会の創立に至ったのだと思います。

当初の現代俳句協会の年会費は二十円でした。当時の母が残した家計簿に「新聞二〇円」「クレヨン二〇円」とあります。私は十一歳でしたが、敗戦直後の母が工面していた新聞の定期購読やクレヨンのための二十円が、糊口を逸れた出費であったことは、教えられなくてもわかっていました。

創設初期には、入会にかなり高度の資格が求められていたとのことですが、よしんば入会が簡単であったとしても、句作の才に恵まれていたとしても、敗戦直後のお母さんたちの多くは、自分の好きなことのために二十円を拠出し、句会や会合に出てゆくということはしなかったでしょう。二十円は、家族のためのパンの一つになったにちがいないのです。

そんな時を経て会員が百名に達したのは、創設後、五・六年してからだったそうですが、そのメンバーに女性名は少なく、すでに原始会員として入っていた中村汀女、橋本多佳子に加えて山口波津女、加藤知世子、桂信子、細見綾子、三鷹鷹女というわずか七名。それぞれが俳句史に名をとどめる仕事を残している人たちです。

男性ばかりの中にあって、明治・大正に生まれた彼女らが、女性だけで話がしたいという思いをつのらせ、超結社で「女性俳句」という場をつくったという経緯にも、感慨深いものがあります。

二十世紀の終りに「女性俳句」というこの集まりは解散しましたが、幕引をした日に、もはや女性だけで胸のうちのものを語りたいという時代ではなくなったし、この集まりをこれからの世に残すと、自分たちの初期の思いがちがうところに辿り着きそうで、と呟いていた桂信子を思い出します。

時代は変化して当然なのですから、いま、十年前、二十年前には予測できなかったような事々が身辺にあふれていることも、今後、思ってもみなかった日々がやってくるだろうということも、当然の内なることです。

当然のこととして、時代にふさわしい俳句を押し出してゆかねばならないのですが、そんなことは今更のことではなく、古人も言い、協会の創立以前に西東三鬼も書いています。

「何が新しいか」と言ふ難問には「現代人により近い感性が新しい」と私は私流に答へたい。俳句はいつの時代も新しくなくてはならない。従って俳句はその時代人の情感にもっとも近いところから詠ひ上ぐべきである。

(「現代俳句」昭和二十一年十月)

この思いが石田波郷の「韻文俳句精神の徹底」という思想に呼応したのでしょうか。三鬼の死を悼む波郷の弔辞だったかに、東京への満員列車の床に座り込み、夜を明かして現代俳句協会設立のことを語り合った、というくだりがあったように記憶しています。

今の時、私たちの周辺に生じている出来事の多くは、日本という地球のエリアだけで解決できるような問題ではなくなっています。たぶん、多くの人の「時代人の情感」に潜んでいるのは「不安」だろうと思います。愛するものたちといつまでも平安に暮らせるだろうか、滴るような山川の恩恵を子や孫たちも授かることができるだろうか……。

俳句はけっして告発の文芸ではありませんが、そんなことに考えを巡らせていますと、あらためて「俳句はその時代人の情感に最も近いところから詠ひ上ぐべきである」という三鬼の思いが、創作活動の根本をなす思想であると思われてくるのです。

私たちは昭和戦後のお祭り広場で俳句にかかわってきました。祭りの後という今、私たちが手をつけなくては、ついに埋もれたままに終わってしまうだろうと思われることが、目の前に山積しています。

「昭和」という時間を生きてきた優れた先人たちの句業、心ならずも不遇に果てた人たちの遺志、埒外に置かれたままの少数派の試行。けっしてそのままにしておいていいものではありません。いま興しておかねば、後の人たちが困ります。

いかなる協会に属していようとも、いかに楽しい仲間との句作の時間があろうとも、自作は個室での営為です。ただ、何事かを為すに際して、個人の力では困難だけれど力を集めれば可能ということがあります。何をどうするというところは未定ですが、いずれ具体的なことを提案し、皆様のご理解をいただき、実行に運びたく考えております。

幸い、協会組織は北海道から沖縄まで繋がっています。親睦、共学の場である一方で、各地の皆様とともに、今、為さねばならぬことをやってまいりたく思っているところです。