協会案内

会長挨拶

俳句に託すもの ― 3・11 以後の思い   宮坂静生
会長写真

いまなぜ俳句か。私の60年の俳句半生にこの問いを発するのは2回目である。一度は1960(昭和35年)年安保のとき。戦後の民主主義の危機という思いであった。同世代の女子大生が国会請願デモのさなか圧死するという事件をきっかけに気持が昂じ、いま俳句を詠うことにどんな意味があるのかと張り詰めた気分に息苦しくなった。人間尊重というヒューマニズムに燃えていた。

あれから50年が経つ。2011(平成23)年3・11の東日本大震災、津波、そして福島の原発事故が重くのしかかる事態を表現者としていかに受けとめえるかという問題の大きさに対して無力なのである。

この3月20日第5回佐藤鬼房顕彰全国俳句大会(実行委員長高野ムツオ)に出かけた折に、その前日仙台の友人に案内を乞い、名取市閖上(ゆりあげ)から仙台市荒浜(あらはま)、さらに石巻市日和山まで被災地を歩いた。その間、胸に温めてきた一句を反芻しながら。

春夕焼海憎しとは誰も言はず   岩咲 さら

仙台在住の作者である。ご自身は罹災者ではないが、津波にいのちを奪われ、根こそぎ海に痛めつけられた友人知人のことばを嚙みしめた果ての句である。

親兄弟を亡くした者、漁撈の生活一切を失ってしまった者が、大洋の非情を歎き恨んでいないはずはない。その張り詰めた心情をいたく察することができる。が、口から出ることばには海への恨み辛みがない。そこに作者は感動している。

千年に一度という大震災は静かに、確実に俳人の作句姿勢に影響を与えた。その端的な影響は、自然に対する見方である。自然は決して人間社会の背後にあるものではなく、海山こそ人間の生死を支配するものだという千古の真理を改めてつきつけられた思いだ。

昨年、私は津波にすべてを持ち去られた陸前高田の瓦礫の地で、潮焼けした翅(はね)の蜻蛉を掌にして、そのいのちの強靭さに打たれた。

私は、かつてプロレタリア詩の詩人中野重治が好きであった。「お前は歌ふな/お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を歌ふな/風のさゝやきや女の髪の毛の匂ひを歌ふな/すべてのひよわなもの/すべてのうそうそしたもの/すべての物憂げなものを撥き去れ(略)」

学生時代からこの名詩「歌」など涙を流すばかりに愛誦しながらも、人間はこんなに強くていいものかと人間の意志の立派さに怖れを抱いていた。詩人の見方はあまりにも人間中心。赤ままの花やとんぼの羽根を「ひよわなもの」「うそうそしたもの」「物憂げなもの」と見下しているのではないか。蜻蛉はひよわではない。

親兄弟を津波に奪われた人たちを直ちに救う力にはならないであろうが、それらの人たちがやがて立ち上がるときに、無言の声を掛け、励ましてくれるのは、潮焼けしながらも生きのびている蜻蛉なのではないか。

ここでいく分迂遠な、しかし、俳句とはなにかを考えるときにいつも思い浮かべるアイヌのおばあさんから見聞きしたエピソードを挿入する。北海道へアイヌの人たちの死生観の聞き取り調査に行ったときのこと。

ポイントは「柱に頭をぶつけたときに、自分の頭の痛みではなく、柱の痛みを感じることができるか」という話。囲炉裏の上に獲物を載せ燻製を造る棚がある。子供が立ち上がった拍子におでこを棚の頑丈な角にぶつけ泣き出した。「おでこが痛い」という。するとおばあさんはぶつけた棚木を摩(さす)って「いい、いい、治る、治る」という。子自身が痛いのは当然、同じようにぶっつけられた棚木にも痛みがある。ともに50(フィフティ) ― 50(フィフティ)の痛みがある。人間のように意志を持たないと思われる棚木の痛みを察する。同じことを宮沢賢治も問題にしていると賢治研究者の佐藤映二氏に聞いた。

私はアイヌのおばあさんの大らかな生活の知恵とでもいえる処世にはアニミズムに通じる深い考え方があるものと感動したのである。私の旧著『俳句地貌論』(本阿弥書店)に上記のアイヌ聞き取り調査の一部を「俳句の新しい詠み方―おおらかなアニミズムへ」と題して収録した。それを柳田邦男氏が『いきなおす力』(新潮文庫)という近刊で紹介してくださった。そのことに感謝をしながら、私がひそかに感動したのは、東日本大震災の体験を長い目でしっかり受けとめる思想が、上記のアイヌのおばあさんから教えられた考え方にあるのではないかという点である。

痛みに直面している東日本大震災の罹災者は直ちに痛みを癒すヒューマンな援助が欲しい。が、やがて、大らかなアニミズムが罹災者には深い自然観として「生きなおす力」になろう。と同様に、私たちにとっても東日本大震災を大らかなアニミズムとして忘れないことが「生きなおす力」になっていく。

「現代俳句」平成24年5月号所収