■講評

松田ひろむ


梅雨のなかで
今年は梅雨というのに、雨が降らないで各地で水不足が報じられています。
今月は839句と先月に比べて減少してしまいましたが、急に暑くなったためでしょうか。そろそろ千句という大きな目標が突破されるのかどうか、楽しみでもあり、選句のことを考えると少し怖くもあります。みなさんの健吟を期待しています。
なお「現代俳句」七月号より、このネット句会の講評が掲載されるようになりました。WEBとは若干異なる場合もありますのでご了承ください。
得点 番号 句 俳号(会員番号)
11 234 幸せは少し退屈ソーダー水 冬 さくら
幸せと思えるというのもけっこうなことですが、それが本当に幸せかどうか、人生永遠の問いかけでしょう。ここではやや退屈な時間の幸せ。ソーダー水という取り合わせがややレトロですが、ソーダ水の気泡のはじける音を連想して、なぜか心が明るくなる一句です。
10 85 父の日や皿をはみだす海老のひげ 大塚 正路
 父の日に海老のご馳走が出たのでしょうか。皿をはみ出しているのですから、伊勢海老でしょう。その「海老の髭」といって威厳を象徴しているのでしょうか。昔の父は威厳があり、恐ろしかったものです。「恐ろしい」より「畏ろしい」でしょうか。その髭を海老に発見した滑稽です。
10 639 まな板の表も裏も梅雨に入る 菊鞠 潤一
梅雨のある感覚ですが、まな板の表裏にそれを感じるというのは、なかなか詩的なセンスと拝見しました。同じ作者の先月の「ハモニカに鉄の味する麦の秋」もそうですが、感覚的な作品で、これはこれで注目すべき作家の登場です。楽しみです。
9 376 ブランコを最後に漕ぎて転校す ゆみ
「卒業す」ならやや常識的ですが、ここでは「転校す」が効いています。ここのこの学校のブランコという意識が鮮明です。ブランコが春の季語というのも、歴史的なことは別にしても楽しいことです。
8 633 羽抜鶏こやつ写楽の貌をして 水谷 よし
 羽抜鶏といっても、養鶏が「放し飼い」から数万羽の「ケージ飼い」になってしまったため現実にはお目にかかれなくなりました。つまりは想像、連想の句となります。したがって類想類句の山になりますが、この句の場合は「写楽」と重ね合わせた滑稽が魅力です。
 「口閉づるとき聳えけり羽抜鶏」(加藤楸邨)も絵画的で印象に残る句でした。
8 457 先生が子に習ひたる草の笛 大塚 正路
 草笛とはと解説しなければならない時代のようです。草笛といっても草の笛ではありません。木の葉を使います。樫、椎、楠の葉が適しています。
この句は教え子に先生が習うという逆転の面白さ。それも草笛ならではのことでしょう。ただ気になるのは下五の「草の笛」です。前述のように「草笛」は「草の笛」ではありません。
8 138 枇杷熟れて市営住宅古びゆく 藤田 明
7 646 声変わりして父の日の酒を注ぐ 藤田 明
 たまたま同じ作者の句が高点にならびました。いつも熱心な作者です。古びゆく「市営住宅」、声変わりした息子と父の日など、市井、家庭の哀歓がほどよく言いとめられています。力まない作者の姿勢に好感がもてます。ただ二句とも「して」が気になりました。俳句は「切る」ものですので、この接続は気になります。
7 80 星ひとつかかり田植の終りけり こしざわ えいこ
 先月にも書きましたが、「朝は朝星、夜は夜星」のパターンです。常識を出ていないでしょう。
6 373 六月の水溶性の恋心 義久
 これはなかなかおしゃれな句です。なんといっても「水溶性」が絵具を連想させるところがいいのです。六月と水は付きますが、それも作者の思いなのでしょう。
6 735 教室の軽くなりたる更衣 石口 翼
更衣といっても行事としては実感が薄いものですが、さすがに学校などではいっせいに切り替わるのでしょう。「教室の軽くなりたる」で、少なくとも小学生というよりも中高校生の教室という感じが巧まずしてでています。
松田ひろむ・今月の感銘句
518 少年の草矢に墜ちる夕日かな てちゅろう
 草矢で夕日を打ち落とすという誇張がなんとも雄大です。遊んでいて時間の立つのも忘れたという場景が「堕ちる夕日」で、きちんと詠まれています。
その他の注目句
288 くじらこつんと東京湾の五月闇 霧の すまろ
490 海を見るそれだけのためソーダ水 来栖 かなん
711 天婦羅のからりと揚り梅雨の星 藤川 和子