現代俳句コラム

現代俳句コラム

アーケード育ちで町の燕の子齊藤美規
 平成18年の現代俳句大賞受賞者の齊藤美規は糸魚川市の山間部を生涯の住処として風土俳句を詠み続けてきた。その糸魚川の市街地が平成28年の年末に折からの強風に煽られて未曽有の大火に見舞われる。
 被災地を東西に横切る道路沿いにはこの句の舞台となる雁木風のアーケードが設置されていた。そこは雨の日も雪の日も賑わう近在の人にとって憧れの場所で「町へ行く」といえばその商店街のウインドーを覗き買い物をすることだった。美規は糸魚川といってもバスで三十分近くかかる谷あいの集落で産まれ育った。昔時は近在の子は町なかの子を憧れていたものである。春になると燕がやってきてアーケードで巣作りをする。そこで産まれた子燕は谷深くから出て来た作者にとっては、近所で見かける燕よりもどこか垢抜けしていて明るいものに感じられたのだ。白いハンチングを被り手帳を手に燕の巣を見上げている美規の眼鏡の縁がきらりと光る。
 燕がやって来る。このアーケードで産まれた燕は子育てのために住むべき故郷に帰って自分の家が無くなっていることを知りどんなにか悲しんだことだろう。目的を失って瓦礫の中を当てもなく飛び回るのだろうか。いや、そうではあるまい。数年後の糸魚川の復興を信じて在りし日の糸魚川のアーケードの賑わい、そこに住む人たちとの交流を子燕に語り伝えていくに違いない。そうして復興なったアーケードでは再びその燕の子の鳴き声が響き、それを見守っていく人情の厚い糸魚川市民の顔が見られるに決まっている。「町の子」は燕であっても意外としたたかで強じんなのだ。糸魚川は復興できる。復興を待ちわびている子燕になど負けてたまるかの思いで飛翔するに違いない。この句の明るさがそれを予言している。
 
 出典:『白壽』(平成6年刊)
評者: 森野 稔
平成29年8月16日