現代俳句コラム

現代俳句コラム

泉への道後れゆく安けさよ石田波郷
 波郷が、松山中学の同級生中富正三(後の、俳優大友柳太朗)に俳句の道へ誘われたのは有名な話である。
 私は、その大友柳太朗のファンであった。
 昭和25(1950)年、進駐軍によるチャンバラ禁止令が解除され、時代劇映画は全盛期を迎えることになる。多くの子どもたちがそうであったように、私も映画館に入り浸っていた。そして、観てきた映画の筋書きや台詞や配役を仲間に話すのが何より楽しみであった。仲間の大方は主役の戦前からのスターが贔屓であったが、私は、ちょっとニヒルで二枚目の敵役をやっていた大友が好きだった。その大友が、昭和28(1953)年に「加賀騒動」で主役に返り咲くと一躍人気スターの仲間入りをする。以後、東映時代劇が衰退するまで、主演作はもちろん脇役をつとめたものまで、何かの事情で見逃した数本を除いてすべて観ている。
 大友と波郷の関わりを知ったのは、昭和36(1961)年、私が俳句を始めて間もなくのことである。そのとき、急に二人の存在が近くなったような気がした。
 昭和37(1962)年、「鶴」の同人で芥川賞作家の多田裕計が創刊した「れもん」に、先師山口いさをと参加した。いさをは、波郷も選者をつとめた「第1回れもん賞」を受賞し、翌38(1963)年に、「れもん」僚誌として「菜の花」を創刊主宰した。雑誌から言えば師系は波郷に繋がることになる。直接ではないが、そういう縁とか巡り合わせみたいなものが、ずっと私の心を豊かにしてくれている。大切にしたいと思っている。
 私は、波郷と面識はないが、写真で見る笑顔が、顔かたちも全く違うのにあの少しはにかんだときの大友の笑顔と重なって見えてくるのである。
 掲出の句は、そんな私の思い入れとは何の関係もないのだが、何かにつけて先鋭な若者であったそのころ、いさをに教えて貰ったこの句が妙に心に残っている。後年、波郷自身がこの句について「成立の事実を離れて私の心の置場所のやうな句になった」と書いているのを知って、そのころの言動とは裏腹に、本当は私もそんな生き方がしたいとどこかで思っていたのだと気がついた。
 あらためて、波郷の句を読み返してみたいと思う。(文中敬称略)
 
出典:句集『春嵐』
 
 
評者: 伊藤政美
平成27年9月1日