現代俳句コラム

現代俳句コラム

こおどりして餅花くらき部屋通る澁谷 道
 小正月の句。作者は、京都生まれにしたいという祖母の執心のおかげで、その地に誕生した。そして、十代まで京都で育った。祖父は警察官で伏見深草に住んでいたから、町屋とは雰囲気が自ずと異なろうが、この句からは、暗い部屋がいくつか続いている家屋の様、そして、その部屋の間をゆらりと通っていく餅花の様が目に浮かぶ。私の想像では、作者は、家人に担がれて部屋を抜けてゆく餅花を、下から見上げている少女。ほの白い餅花の光がゆらゆら弾むさまに、小正月という特別な時間を迎える心のときめきと、なんとはない不安が揺曳する少女の心が見えてくる。
 角川の『女性俳句の世界』でも同様の鑑賞をしたためた。それをしばらく疑うこともなかったが、ある日、読み返していて、ふと、部屋を通って行ったのは担がれた餅花ではなく、作者自身ではなかったかと気がついた。俳句の読みのセオリーに従うなら、隠れている主語は作者と読むのが基本だから、この句は、餅花が飾られていた部屋を幼い作者が踊るようにして通っていったことになる。そして、その方が餅花を喜ぶ子供の姿がはっきりと浮かび、俳句の読みとしては、こちらが本道かと悟った。
 これは、失態を演じたかと悔やみながら、しかし、また読み返す。すると、やはり、どちらにも読める。前者の読みも捨て難い。なぜなら、後者の読みなら、餅花の、例の不思議な光のゆらめきが消えてしまうからだ。何度か思い悩んだ末、これは始めから作者が仕組んだ仕業なのだと気づいた。主客自由に入れ替え鑑賞し、言葉の世界を変転させていく。これは橋閒石について連句を学んだ作者にとって、ごく基本的な表現方法であった。私は、まさに、その掌の上でこおどりしていたということになる。

出典:『桜騒』(季節社・昭和5年)

 
評者: 高野ムツオ
平成24年5月11日