大会報告  
各賞発表と講評……現代俳句全国大会賞(1名)
現代俳句全国大会賞(1名)
毎日新聞社賞(1名)
特別選者特選句(32名)
秀逸賞(17名)
佳作(53名)
講演(要約) 



浅井慎平先生
浅井慎平先生

津根元 先生がお若い頃の体験を書かれた小説に『原宿セントラルアパート物語』がありますが、そこでは、伊丹十三、タモリ、渥美清、寺山修司、植草甚一、岡井隆、春日井健の各氏との交流があったようです。それはどんなものだったのでしょうか。とくにタモリさんとのおつきあいなどお聞かせ下さい。

浅井 原宿セントラルアパートにぼくの事務所・スタジオがあって、当時、そこにいろいろな人たちが出入りしていたわけです。その人たちがいったい何者であったのかと今思うと、それぞれの人たちがオリジナリティーをもっていた、それも際立ったたった一人の人たちであったのではないかと思います。今日のテーマである表現ということでいいますと、ある時作家の筒井康隆さんと話をしましたときに、20世紀の表現というのはほとんどのことをやってしまったのではないか。演劇も映画も文芸も絵画も音楽も、ほとんどのことがやられてしまっていて、われわれは何をしたらいいのかわからない時代になったのではないか。ただ、そうはいうけれども、人間はたった一人しかいない、そしてそれぞれがみな違う性格や顔をもって存在している。そのことがたぶん、これから先ののわれわれの表現というものの重要なキーになるのではないか、ということで話が終わったんですね。創作というのは発見であるとぼくは思っているんですが、オリジナリティーこそが表現であるというふうに、ぼくやぼくの周りの人たちは思っていた。亡くなられた方も含めて、彼らの生き方のなかに、それぞれのオリジナリティーがあったと思います。

 タモリという存在も、興行的なお笑いではなく不思議なものをもっているということで、何とか彼を世の中に出したいということだったわけです。結局彼は赤塚不二夫さんのところに寝泊まりするところを確保して、昼は勉強もしなくてはなりませんのでぼくのスタジオにくるわけです。その時に、タモリ自身にオリジナリティーがあったことは確かなんですけれども、ふだんはジャズをやったり、小説を書いたり、写真をとったりしている人たちが、とくに酒の席などで非常にクレイジーな芸をするときがあるんですね。それをタモリのところに集めようと。それらをタモリのところに持ちよって、教えるわけです。それが集まって、やがて彼がデビューしていくことになるわけです。もう30年も前ぐらいの話になりますが。ですから、みんな非常に際立った個性の持主、オリジナリティーの持主だったということですね。

津根元  平成4年に、先生は浅井 慎平という実名で現代俳句協会の新人賞に応募されました。これは選考委員会でももめにもめて、結局佳作ということになったわけす。今回の大会記念の浅井 先生のしおり「青に染まりたくて眞直に立つ」もこのときの句でした。有季・無季といったことも含めて、当時の心境などはどんなものだったのでしょう。

浅井 今日は、専門家の方がたくさんいる前で俳句の話をするのはできれば避けたいと思っていましたので冷汗が出るのですが……(会場笑い)。
まあ、遊び心というか、いたずら心があって、急に応募してみたくなった、と。現代俳句協会というからには、前衛的でモダンなところではないかと思って、ぎりぎりこのあたりまでは許容範囲ではなかろうか、ということで出したんです。運がよかったんですね。
有季・無季ということですが、俳句の許容範囲ということで、前に桂枝雀さんと対談したときの話をしたいと思います。枝雀さんはその後、自殺をしてしまうわけですが、表現上の問題で悩みに悩んだ、今の時代では珍しい人です。昨日も、作家の村松友視さんといっしょに旅をしながらその話をしたのですが、枝雀さんが非常に面白いことを言っていました。彼は落語をやっていて、どこまでが落語なのかと考えるわけですね。どこまでが俳句なのか、と考えるのが俳句にとっての現代のキーワードだと思うのですが、枝雀さんはそれを座布団に喩えました。高座というのは、座布団の上に乗って一席うかがうわけですが、座布団に乗って座布団にさわっているときが落語だと思うようになった。指先だろうと、足の爪先だろうと、膝の頭だろうと、座布団にさわっていると落語である。座布団からはずれると、それは漫談になるのかどうかわかりませんが、どうも違うものになるのではないか、ということに気がついたというわけですね。これは象徴的な話です。それぞれジャンルの違いはあっても、表現の中には、どうもこの座布団があるのではないか。つまり、俳句における座布団はどこまでなのか、ということを考えるわけです。

 近代から現代への俳句の流れのなかで侃々諤々議論されてきたのは、それをどう認めるのか、それは座布団にさわっているよとか、それは座布団から離れているよ、ということになってきて、非常に面白い話になってくるんですね。ぼくが応募したときの俳句は、わざとはずしたりするわけですけれども、座布団にさわっているつもりだったわけですね。ところが、その時の批評などを読むと、座布団にさわっていないという判断をした人もいたわけです。後で津根元さんと対談をしたときに、ぼくが現代俳句協会のストライクゾーンを知らなかったのはまずかった、前もって知っていたら、もっと違う投げ方もできたのに、などと冗談を言って、でも、少し本気のことを申し上げたこともあったわけですね(会場笑い)。
 ですから、俳句の約束事のなかに、ひょっとしたら俳句の座布団というものがあるのかもしれない。村松さんは、小説にもあるね、と言っていました。この議論を進めれば、少し俳句の本質に触れることになるのではないか、と今はお答えしておきたいと思います。

津根元  話は少し変わりますが、浅井 先生は、千葉県の千倉というところに、13年前、「海岸美術館」というのを建てられましたね。これはどういうお考えからですか。

浅井 美術館を作ったというよりは、美術館のある風景を作ろうと思ったんですね。どういうことかと言いますと、今自然環境問題が盛んにいわれています。つまり、人間というのは人工というものを選択してしまって、その自然と人工が、だんだんとバランスを失いつつある時代です。では、どのレベルだと人工物と自然が出会えるのか、人工物を作りながら自然というものとどんな出会いができるのか、ひとつそのプレゼンテーションができないだろうか、と考えたのが「海岸美術館」ということなんです。ですから、俳人のみなさんも感じるものがあると思いますので、ぜひ千倉に来ていただきたいですね。

津根元  本日のテーマである「現代の表現」ということでいかがでしょうか。

浅井 表現ということで、ぜひみなさんにご披露したいことがあるんです。
 最近のことですが、NHKで葛飾北斎の富嶽三十六景を取り上げました。ぼくも呼ばれたわけです。北斎は見てはいましたけれども、きちんと見たことはなかったんですが、ぼくのところに話をもってきた理由がありました。みなさんもご覧になったことがあると思いますが、三十六景の中に、波が大きく手前にあって、はるか向こうに富士山があるという、有名な品川沖を描いた絵があります。あの波の形が、写真でいえば、5000分の1秒とか1万分の1秒のシャッターでないと見えない形なんですが、それを北斎は描いている。その辺を写真家として見てほしいということだったわけですね。
 さて、20世紀が明らかにしたことは、人間というのはある大きさがあるということだと思うんです。例えば、ぼくらはどんなにがんばっても100メートルを5秒では走れない。つまり、身体的にも、知性や感性、あるいは人間の様式も、ある形、大きさがあって、そのアナログとして人間がいるということです。ところが文明というのは、非常な勢いで人間を離れて巨大化していく。文明と人間がどんどん離れていって――もうぎりぎりのところを超えたのかもしれませんが――人間というのは相当能力が高いから、現代のコンピュータの世界に身をおいていますけれども、本当の心の底では悲鳴を上げているのではないか。ですからぼくは、これから先、文明と人間との乖離をどこで止めるかというのが、人間の幸福につながる大事な問題だと思っています。

 話を北斎に戻しますと、北斎は5000分の1秒を見たのか、といえば、ぼくは見ていないと思います。なぜか。ご存知のように、映画というのは、1秒間に24コマが動いています。止まっているものが1秒間に24コマ走っていくのを見て、われわれ人間はそれを動いているものと感知する能力をもっているわけですね。逆にいえば、そういう人間の能力を利用したのが映画というものです。ですから、1秒間に24コマの動きを止められない人間、つまり北斎が、どうして止めることができたのか、に注目するわけです。
 そうすると、表現というものの中で、たぶん北斎は「感じる力」、その能力が非常に高かったのではないかということです。創作が発見であるとするならば、例えば、だれでも知っている、見たことのある、花が咲いて散るという桜の木でも、俳人、あるいは詩人、画家は、それぞれの考えをもって感知するわけですね。そうすると、1秒間に24コマの動きを止めることができない人間の能力を超えて感じるものがなければ、そこで発見はできない。北斎はその時70歳ですが、それまでの自分の仕事はもういらないといいます。若いころはだれでも描くような凡庸な絵を描いていたわけですが、彼は5000分の1秒のシャッターでしか見えない波を描けるところに立ち至るわけですね。彼は90歳のときに、あと10年ほしいといって亡くなります。なぜそんなことを言ったかといいますと、これはぼくの推理ですが、やっとわかった、おれには見える、ここまでわかっている、もう10年くれたらもっとすばらしい表現ができるだろうと感じたのだとぼくは察したわけです。人間というのは、そういう能力があるからこそ創作ができるんですね。
 例えば、優れた野球選手は150キロの球を打ち返す力があります。これは球が見えているからではなく感じているからだと思います。150キロは人間の目には、それこそ目にも止まらぬ速さですから、ある見通しをもって打ち返すことができるというのは恵まれた才能の持主です。これはスポーツだけでなく、音楽であっても文芸であっても同じものだと思います。表現するということは、それを察知する力というものが、どこから来るのかわからないのですが、必ず来るんですね。それが来たときに表現が生れるということを北斎がぼくに教えてくれたことです。
 北斎に見えたこと、北斎が感じたことは何だろうと考えると、それは「待つ」という行為だろうと思うんですね。ぼくも写真家として長くやってきましたが、もう自分の表現もこれぐらいで終わりかなと何度も思いました。そう思うたびに、ちょっと待てよ、まだ何かがあるかもしれないと思ってきました。答えがその日に来ることもあるけれど、ほとんどの場合は来ないんです。でも、何か来るだろうと思っていると、それは本当に来るんですね。そのことを天使が降りてくるとか、神が来たとかとかいうんでしょうけれども、北斎も待った人だと思います。発見にもいろいろな方法がありますが、「待つ」という方法があるのではないかということを北斎を通して思ったことをみなさんにお伝えしたいと思ったわけです。

津根元  いいお話でした(会場から拍手)。最後に、現代俳句の行方といったことはどうみておられますか。何か示唆をいただければと思います。

浅井 むずかしい質問ですね。ぼくも教えてもらいたいぐらいです(会場笑い)。
 いつも仲間と話していて感じていることがあるのです。それぞれ職業も違い、画家は画家生活、音楽家は音楽生活、文芸生活とかあるわけですが、それ以外の人間としての生き方、彼も彼女も自分の人生の指針というものがあって、それが小説を書かせたり俳句を書かせたり音楽を作らせたりしているわけですね。俳句的人生というものがないとは思いませんが、どんな人でも食事はするでしょうし、トイレにも行くでしょうし、人間としての共通点があると思うんです。そこのところと自分の表現がどう結びついていくのか。俳句的境地というものがあるにせよ、それで俳句が書けるとは思わないですね。つまり、人間として与えられた人生というものを埋めていく空間・時間と対峙していることが俳句を作らせていると思うんです。
 ずいぶん前に東京四季出版の松尾社長と酒を飲んでいましたときに、「俳句野球打率説」ということをおっしゃったんです。俳句は野球の打率に似ている。俳句界で3割打者というのは少ない。だから、10句のなかに3ついい句があったらすごいことだ。ですから、20本に1本、100本に1本かもしれないけれど、そういう出会いが絶対にあると思うんですね。それを信じてやる。
 それから、現代というのは、みんな作者ばっかりの時代なんです。昔、カラオケに対するコメントを求められて、ぼくは「カラオケはなくなる」といったんです。なぜなら、人の歌は聴かなくてはいけないと思っていたんです。ところが、聴かなくてもいいとなると違ってきます。俳句の場合も、自分は作るけれども人の作品は読まないという人が多いんですね。ですから、作者であると同時にいい読み手でなくてはいけないと思うんですね。俳句も、感性の優れたもの、いいものに出会いたいという意欲がなければダメだと思います。
(文責・堀之内長一)

☆浅井慎平先生の講演は、現代俳句協会の機関誌『現代俳句』に詳細が掲載されます。ぜひご覧下さい。